東京農業大学

Web情報検索
文字の大きさ特<-大->戻
スーパー農学の知恵

生物の環境適応に新知見

大雪山系でヒバリの繁殖を確認

生物産業学部生物生産学科 准教授 白木 彩子

ヒバリAlauda arvensisは、日本人にとって身近な鳥のひとつだ。主な生息環境は低地にある開けた草地で、私たちの住む場所と比較的近接している。しかし、ごく最近、ヒバリが山岳地でも繁殖していることが明らかになった。たとえば2008年の夏、私は北海道の最高峰、旭岳(標高2,220m)を抱える大雪山の標高2,000m付近の稜線で、ヒバリの巣立ちヒナを確認した。北海道の高山帯での繁殖は初記録である。その後、北海道と本州のいくつかの山岳地でも繁殖するヒバリが確認された。なぜ、ヒバリは高山帯でも繁殖するのだろうか。

世界的な減少傾向

春から初夏に空高く舞い上がり複雑な歌を長くさえずるヒバリは、「揚げ雲雀(あげひばり)」とよばれ親しまれてきた。かつては農耕地や河川敷などで普通にみられる鳥類であったが、近年では日本も含めて世界的に減少傾向にある。その理由として、繁殖に適した草地の減少や農業形態の変化により農耕地の環境が営巣に不適になったことなどが挙げられているが、必ずしも明らかではない。
私が山岳地のヒバリと出会ったのは、5年ほど前である。かつてから高山帯に生息する鳥類の生態に興味をもっていたのだが、研究対象として考えていたのはヒバリではなく別の種であった。というよりも、その当時はヒバリが高山帯で繁殖しているとは考えたこともなかったし、大雪山などで行われた既存の鳥類調査の報告には、高山帯にヒバリが生息しているという記載はなかった。そのため、大雪山の稜線ではじめて揚げ雲雀をみたときは非常にびっくりした。当初はそこで繁殖しているのではなく、移動中の個体がたまたま囀っただけなのだろうと考えた。しかし、繁殖期に数回訪れても、毎回、同じような場所でヒバリが囀っている。これはもしや…と思い、本気で営巣地探しを開始した。

 

大雪山では遅い産卵

2008年から2010年に行った現地調査の結果、大雪山北海岳(標高2,149m)から北海平にかけての登山道沿いには、毎年4〜6つがいが生息していることがわかった。しかし、必死の探索にも関わらずなかなか巣が確認できない。どうもこの場所では、生息するつがいの一部しか営巣まで漕ぎ付けていない可能性がある。
一方、私の所属研究室の4年生や大学院生が調査した結果によれば、網走周辺ではテリトリーをもったヒバリのつがいのほとんどで営巣が確認されている。また、網走周辺ではヒバリの産卵開始は通常5月初めであり、その後2回めもしくは3回めの繁殖を行って8月中に渡去するのが一般的なようだ(一回の繁殖には40日程度必要と考えられている)。しかし、大雪山では産卵は早くても6月中旬以降と推定され、8月の初めには渡去することから、繁殖機会は一回だけに限られる。
ヒバリは、地面にお椀型のくぼみを作り、そこに植物質の巣材を敷いて産卵をする。ヒナには専ら昆虫類やクモ類などの動物質の餌が与えられる。北海平付近では、通常6月中旬ごろまで雪に覆われるエリアが多く、ときには降雪し、積雪となる。気温も低地と比べて非常に低い(表を参照)。したがって、降雪や低温による卵やヒナへのダメージを避けるために、産卵は6月中旬以降になるのだろう。また、ヒナの成長に必要な餌資源が豊富に得られる時期と繁殖のフェノロジーが関係していることも考えられ、現在、餌生物の発生時期や餌量の経時変化について調査を進めている。

 

なぜ高山帯で繁殖するのか?

それにしても、通常は低地で繁殖しているヒバリがなせなぜ、わざわざ気象条件が厳しくて繁殖のチャンスが一回しかない山の頂上部にいるのだろうか?普通に考えると、生き抜くにも子育てをするにも、平地にくらべて高山帯は不利だと思われるのだが。
実はこの、非常にシンプルな疑問が、私を高山ヒバリの研究へと導く原動力になっている。
なぜ低地で繁殖している鳥の一部が、高山帯で繁殖するのか? この謎を明らかにするために、私はいくつかの仮説を考え、その一部について現地調査や遺伝子解析による検証を試みている。考えられる仮説のうち、実際に検証中あるいは検証予定のものについて簡単に説明していこう。

 

三つの仮説を検証

ひとつめは、若齢あるいは栄養状態が悪いといった社会的に劣位な個体が、平地で縄張りをもつことができずにあぶれ個体として高山帯に来ているのでは?という考えである。この仮説を検証するためには、実際に低地と高山帯の繁殖個体を捕獲して、齢や栄養状態等について調べる必要があるのだが、ヒバリ成鳥の捕獲方法が確立されていないことから、データの取得には至っていない。しかし、たとえば4月下旬の北海平付近では既にヒバリが渡来して囀っている。テリトリー争いに負け、平地での繁殖ができなかったあぶれ個体であれば、高山への渡来時期はもう少し遅くなると予測されるため、今のところこの可能性は低いように思う。
ふたつめは、高山帯で繁殖する個体の適応度が、実は平地と比べて低くはない可能性である。つまり、人間からみると不利に思われる高山帯での繁殖は、巣立って繁殖する子孫の数として考えると、低地と変わらないという仮説だ。高標高地での繁殖期間は短いけれど、たとえばより栄養分の多い大きな卵を産むことや(地理的に異なる繁殖地をもつある種の鳥類では、北にいくほど卵サイズが大きくなり、一腹卵数は減少する事も報告されている)、巣立ち後のヒナをより手厚く世話することでヒナの生存率を高めているかもしれない。あるいは、高山帯では捕食者による繁殖失敗が少ないとか、餌が短期間に、爆発的に出現することで、ヒナの餌が一時的に平地よりも豊富になる可能性などが考えられる。これらのことについて確かめるために、現在、大学院生や他大学の研究者と共に、低地と高山帯の両方においてヒバリの繁殖生態や餌資源についての調査を行っている。
最後のひとつは、低地で繁殖するヒバリの集団と、高山帯で繁殖する集団は遺伝的に異なるという仮説である。その結果、たとえば、高山帯の集団は高山帯環境に適応的な形質をもつ特殊化した集団である可能性が考えられる。あるいは、北海道の高山帯集団はより北方の寒冷な地域(ロシアなど)で繁殖している個体群と遺伝的に同じ集団である、といった仮説もあり得る。現在、日本国内やロシア極東のいくつかの繁殖地で、低地と高地で繁殖するヒバリの羽毛や血液を採集し、DNAを抽出して地域集団間の遺伝的な違いについて解析を行っている。これまでに得られた結果でみると、少なくとも北海道の高地で繁殖している集団が、ロシア地域の繁殖集団と遺伝的に同じであるという仮説は成立しなさそうだ。高地集団が低地集団と遺伝的に異なるのかどうかを明らかにするためには、さらなる解析が必要であるが、とくにもともと繁殖個体数の少ない高山帯のサンプル数を増やすために、もう暫く時間がかかりそうだ。

 

生息地の「標高差」研究の意義

山岳地で生息するヒバリの研究は始まったばかりであるが、今後、さまざまな方向に発展する可能性を秘めている。これまで、多くの生物種で同種内の地理的(水平的)な生息地の違いに基づいた形質変異や遺伝的変異についての研究が行われてきた。しかし、生息地の「標高差」という垂直方向の違いに基づいた、これらの解析的研究はほとんどない。標高の違いは緯度の違いよりも激しい気象条件の変化をもたらし、高地で生息する生物は低い酸素濃度や強い紫外線などの特有の環境条件に曝される。
したがって、同種内における生息地の「標高傾度」は、地理的な傾度よりも相対的に多様な(大きな)生物学形質の変異を生じさせる可能性があり、生物の環境適応におけるさまざまな可能性や、その進化について検証するための有用なツールとなるかもしれない。低地から高地までの幅広い標高帯に生息する生物それほど多くはなく、日本のヒバリはこの研究に適した重要な鳥類なのである。
さらに、近年の地球温暖化現象により、さまざまな生物種がより北方に分布を拡大している例が報告されている。過去の繁殖記録が皆無であることから、もしかするとヒバリはごく近年、温暖化の影響をうけて垂直方向に分布を拡大しつつあるのかもしれない。そのような可能性があることからも、今後も高山のヒバリ個体群やそれを取り巻く生物群集の変遷について、注意深く見護っていく必要がある。


COPYRIGHT (C) 2005-2006 TOKYO UNIVERSITY OF AGRICULTURE. ALL RIGHTS RESERVED.