東京農業大学

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スーパー農学の知恵

昆虫に学ぶものづくり

〜インセクト・テクノロジー〜

農学部農学科 教授 長島 孝行

自然の叡智をテーマとした「地球博」も、まもなく閉会の時期を迎える。前回の大阪万博が高度成長期の科学技術の素晴らしさを象徴させたのに対し、今回はある意味まったく逆の「地球との共存」がテーマだった。

20世紀後半のめざましい科学技術は、我々人類に「もの」の豊かさを与えたかもしれないが、「心」の豊かさはどれだけ与えてくれただろうか?

インドパビリオンの脇にある、ハートの抜けたさとうりささんのアート「プレイヤー・エイリアン」は何を語っているのだろうか? そうした問いかけに応える先端技術の一つとして、「インセクト・テクノロジー」の可能性、その開く未来に注目していただきたい。

 

金色に輝く繭の不思議

「地球博」の日本館は竹で作られた大きなドームだ。多くの方々が、昆虫の作る「繭」を連想した。

さらに奥へ進むと、日本の伝統の和紙と金色に輝く繭だけで覆われたパビリオンがある。愛知県をはじめとした中部9県が参画した「中部千年共生村」である。

この金色に輝く繭は、インドネシアのクリキュラという昆虫の作る繭で、カイコとは全く別の種のものだ。数年前までは街路樹などを食い荒らす害虫として扱われていたが、私たちによってこの繭の機能特性が明らかにされ、一転して役に立つ昆虫となった話は多くのマスコミでも取り上げられた。今ではインドネシア王室を中心に、国のビッグビジネスに成長しつつある。「おじゃまムシ」が国の資源となったのだ。今ではこれを使った金色の壁紙、ランプシェード、紙、小物入れなさまざまなものも作られている。その噂のクリキュラを見学するインドネシアツアーもあった。

筆者は、このパビリオンの監修をしている。先日、スペシャルワークショップが開催され、「昆虫力」の話をしてきたばかりだ。最終回にはインドネシア王妃も、このワークショップに参加された。夜には王妃との対談も行われ、そこでは脱け殻を利用するインドネシアならではの今後の繭産業のビジネスモデルについても提案し、引き続き協力していくことを約束した。

 

日本発のニュー・シルクロード

繭(シルク)作りは、昆虫が地球に誕生して以来作ることを止めていない。なぜなら、そこには驚くべき機能性が隠されているからだ。また、繭糸の作り方は光ファイバーを作るプロセスとよく似ており、しかもそれを軽元素だけを用いて、常圧で作ってしまう。これを人工的に作り出すことは現在の科学技術では不可能だ、ということが最近になってわかっている。

では、シルクにはどんな機能性があるのだろうか?

まず、大変に強いタンパク質だといわれている。体重60sの人間を持ち上げるのに直径0.5oの太さがあれば十分なのだ。次は生体親和性に優れていることだろう。簡単に言えばアレルギーが起きにくいタンパク質なのである。シルクの培地で培養すると非常にスムーズに細胞が増殖することが最近わかった。手術用の縫合糸にシルクが使われている理由もここにある。これ以外にも、無味無臭で、吸着性(吸脂性)、制菌性、紫外線遮蔽性に優れ、しかも成形加工が簡単で、溶液、ゲル、板などの様々な形にすることもできるといったユニークなタンパク質だ。したがって、これらの機能特性を利用すれば、美容液から生分解性プラスチックまで衣・食・住のすべてのシーンに新しい形で利用できることもわかってきた。21世紀は新しいシルクの利用法が社会に受け入れられることになるだろう。ニュー・シルクロードが日本から発信されているのである。

 

おじゃまムシがつくる新時代

嫌われ者のムシが実はすでに色々な場面で使われている。最近のチョコレートは手の平で溶けにくいと思いませんか

舐めても安全な口紅をご存知でしょうか?

これは昆虫などの作る生物ロウが使用されているためだ。その他、食べても安全なクレヨンやCDなどにも使用されている。 猫の風邪薬や犬のアトピー性皮膚炎の薬もカイコが作っている。院内感染で厄介な抗生物質に耐性を持つMRSAを撃退する物質が最近、タイワンカブトの幼虫から発見された。ガンを死滅させる物質はモンシロチョウから発見、脳梗塞を防ぐ物質がカやサシガメからみつかるなど、医学の世界にも進出しようとしている。

ナノテクを利用したタマムシの発色機構を真似た(塗料不使用)玉虫色のステンレス(表紙裏に写真)、モルフォチョウの発色機構を真似た繊維も既に開発されている。これなら化学物質アレルギーの方でも着られる。

ほかにもイエバエを利用した高速家畜糞尿処理システム、カブトエビを利用した無農薬米作りなど、個体の機能を利用した技術も着々と社会化され始めた。

このような、世界に類を見ないジャパンオリジナルの昆虫の科学技術を、私は「インセクト・テクノロジー」と名づけている。

生物の知恵を探るメカニズム研究、ナノレベルまでの構造研究、そしてまもなく枯渇する石油、石炭、天然ガスなどの地下資源だけを使用するのではなく、自然に還(かえ)るリサイクルシステムなどを考えた、千年も続くような持続社会の構築を目指した「再生可能資源」(子孫を生み出し続ける資源)の科学・技術、それも農学科では重要な先端研究のひとつとして進められている。

アメリカのモンサント・セントルイス研究所で半導体の世界の最前線を歩いてきた志村史夫博士(ノースカロライナ州立大)は、次のようなコメントを残している。

「20世紀を後世の人が評するとしたら、必ずや『科学・技術文明の時代』というでしょう。そして、正の効果と負の効果があり、正の効果は物質的な繁栄であり、便利な生活、人間が利用できる時間と空間の拡大です。一方、負の効果は、大量殺戮兵器の製造と世界大戦の勃発、地球環境の破壊や人間の退化と劣化を導いたことがあげられるでしょう」。

さらに、「現在の文明は神が自然をつくり、人間をつくり、人間に自然を支配させたという旧約聖書に述べられている考え方から出発しています。……私は、本来人間は地球に優しくしてもらわなければいけない立場であって、人間が地球に優しく出来るというのは奢った考え方による錯覚だと思っています」とも述べている。

生物が長い時間をかけて獲得してきた「自然の知恵」、それを知り、それを活かすことが、今私たちの地球には求められている。

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