東京農業大学

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スーパー農学の知恵

東京農大「先端研究プロジェクト」報告(上)
家禽の耐暑性、抗病性向上めざす

農学部畜産学科 教授 半澤 惠

本研究で、実験対象としたのは、遺伝的多様性に富むニホンウズラである。我々は30年余にわたり生理的指標に基づく系統造成とそのバックグランドとなる遺伝子解析に努めてきた。次世代シークエンサーによる大量のDNA塩基配列情報の解読を目前に控えた段階で、「先端研究プロジェクト」に採択されたことから、遺伝子解析を一気に進展させる機会を得た。

 

ニホンウズラは遺伝子の宝庫

今年2月、愛知県でウズラからインフルエンザウイルスが検出された。弱毒性であったこととも関連するが、ウズラの健康状態は良好であり調査が実施されなければ感染は見過ごされていた可能性が高い。ニホンウズラはニワトリが感染・発症するさまざまなウイルス性疾患に対し、感染しても発症しない(不顕性感染)。また、ニワトリでは産卵が停止する高温環境でも産卵を続けるなど、高温に対しても抵抗性(耐暑性)を示す。

ニホンウズラは唯一、日本で家畜化された動物である。ニワトリとはキメラや雑種の作出が可能な近縁種であり、染色体、遺伝子の配置もほぼ同一である。しかし、ニワトリに比べて小型、早熟であり、すぐれた耐暑性、抗病性を有する。また家禽としての改良度は低いため品種が存在せず、このことはニワトリの原種が留鳥であるのに対し、渡り鳥であるという生態学的な特徴とも関連して遺伝的多様性に富む。  そのためニホンウズラは家禽の改良に資する有用遺伝子の宝庫であることが期待される。したがって、実験動物および実用家禽として、地球温暖化、人畜共通伝染病の脅威にさらされている畜産業にとって注目される存在である(図1)。

 

熱ショックタンパク質の研究

1995年タイから留学生を迎えたのをきっかけに、ニホンウズラの熱ショックタンパク質(HSP)の解析に着手した。タイではニホンウズラを貴重な肉用家禽としていることから、その優れた耐暑性に着目し、以後、実験を継続してきた。

HSPはタンパク質の一生にわたってその品質管理をになっている。すなわちタンパク質の正常な立体構造形成の促進と機能維持、立体構造を変化させる熱などの各種ストレスからの保護にあたる。このうちHSP70およびHSP90は細胞内濃度がそれぞれ全タンパク質の1%になる代表的なHSPである。またHSPの熱ストレスに伴うmRNA発現(熱ショック応答性)は、熱ショック因子(HSF)により制御されている。そこで本プロジェクト研究ではニホンウズラのHSF、HSP70、HSP90遺伝子群を同定し、さらにそれらの熱ショック応答性やDNA塩基配列の多様性を解析した。

その結果、1)HSP70および90遺伝子群は細菌から脊椎動物まで保存されているが、一方、各生物に固有の体温と環境温度との関係に応じて独自に進化してきたこと、2)明瞭かつ対立遺伝子間差異を示す熱ショック応答性を有するHSP70および90が存在すること、ならびに3)HSP90遺伝子から転写されるmRNAの種類が熱ショックの有無により変化すること、を見いだした。今後、熱ショック応答性の対立遺伝子間差異およびmRNAの変異が個体の耐暑性に及ぼす影響を解明し、暑さに強い家禽の作出に貢献する計画である。

 

「自然免疫」の能力を高める

最近の新型インフルエンザについて、ヒトは“免疫”をもたないため、ワクチンが開発されるまで流行が拡大する懸念が報道された。ここでいう“免疫”とは、正確には“獲得免疫”のことである。リンパ球は一度体内に侵入した非自己成分(抗原)を記憶し、2度目以降の侵入に対して速やかに反応し、これを排除する。ワクチンは無毒化した病原体を予めリンパ球に記憶させることにより、実際の感染の際に病原体の増殖を防ぐことを目的としている。獲得免疫の優れた点は、このように未知の抗原にも柔軟かつ特異的に対応しうる点である。

獲得免疫は脊椎動物だけがもつ免疫であり、すべての動物がもつ免疫、“自然免疫”から進化した。自然免疫は、予め認識できる抗原が決まっており、獲得免疫のような柔軟性はないが、抗原の侵入にただちに対応できる。脊椎動物の免疫システムは、自然免疫による素早い抗原の撃退と、獲得免疫による柔軟かつ特異的な抗原の排除との二段構えになっており、自然免疫が獲得免疫の司令塔の役割を果たしている。

家畜生産において、ワクチンによる獲得免疫の成立は疾病の予防策として重要である。しかし、ワクチン接種は、生産者にとって負担であり、むろん新型ウイルスには無効である。また、獲得免疫の成立過程は、個体にストレスとなる可能性がある。また、抗生物質など抗菌剤の濫用は、耐性菌を拡散させる危険性がある。したがって、獲得免疫と共に自然免疫の能力を高めることが重要である。一方、免疫システムは、腸内細菌叢など生体を取り巻く微生物と相互作用し、この相互作用が抗病性と密接に関連している。ヒトで乳酸菌の有効性を謳うさまざまな食品の効用はそれを活用したものである。

 

抗病性に関わる免疫関連遺伝子群の解析

ニホンウズラの免疫システムを遺伝子レベルで総合的に理解するために、自然免疫において「細菌を溶解する抗菌ペプチド:BDEF」、「微生物由来抗原を認識する受容体:TLR」、獲得免疫において「抗原を認識する受容体:MHC」、「リンパ球の機能を調節する細胞膜抗原群」、免疫システム全体と関連して「抗原を排除する補体系」の各遺伝子群、ならびに「血漿中の抗体濃度」、「腸内乳酸菌」を解析した(図2)。

その結果、1)ニホンウズラの免疫システムに関与する遺伝子群は基本的にはニワトリのそれと相同であるが、2)各遺伝子の構成にはニワトリとの間、さらにニホンウズラ同士の間で差異があり、ニホンウズラの遺伝子が極めて多様性に富み、特にニホンウズラのMHC関連遺伝子群は、ニワトリの数倍存在し、またニホンウズラの個体間で遺伝子数に差があること、ならびに3)血漿中の抗体濃度、TLRのmRNA発現量と腸内乳酸菌の種類・数との間に密接な関係が存在すること、を見出した。

 

家畜福祉に配慮、不死化細胞株の作成

一般に株化細胞は刺激に対する応答性が斉一であり、遺伝子およびタンパク質レベルでの解析に多用される。また、株細胞において得られる知見は、動物実験の代替、ならびに動物実験を必要最小限に設計するために有益である。したがって株化細胞を使用した実験は動物福祉の面からも重要である。

そこで、1)肝由来上皮系の細胞株を樹立し、ストレス応答性やBDEFの発現を確認し、2)細胞株間でストレス応答性とも関連の深いインスリン感受性が異なることを見いだした。今後、本実験で樹立した細胞株を、上記のさまざまな実験で活用する予定である。

本プロジェクト研究を通じて148個の遺伝子を同定し、うち50余りの遺伝子でDNA多型を確認した。これらDNA多型は、ストレス応答や免疫応答の個体変異を解明するためのマーカーとして活用できる。個々の成果がニホンウズラの高い環境適応能の一端を示すのみならず、単一の研究グループで同一の個体群を用いて関連遺伝子を網羅的に解析するための遺伝子情報を整備した意義は大きい。今後、今回の成果を駆使して家禽の耐暑性、抗病性の向上に資する有益な知見を得、本研究グループが家禽の遺伝子研究の核となる日が着実に近づいたものと確信している。

 

 

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