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教員コラム

熱帯アジアにおける野生動物の生息地保全~ボルネオ熱帯雨林の野生動物による塩場利用に着目して~

2017年7月1日

農学部バイオセラピー学科 教授 松林 尚志

はじめに:熱帯アジアの森林と日本

 熱帯雨林は地球上で最も生物多様性の高い地域である。しかし近年、生息地の乱開発や乱獲によって、熱帯雨林に生息する哺乳類の42%は絶滅の危機にあると報告されている。さらに、保護林の割合が非常に低く、大部分は商業利用のために伐採できる商業林であり、私の調査地があるマレーシア・サバ州(図1)の商業林は森林面積の71%を占めている。
 熱帯アジアの森林減少・消失問題は、遠い国の話のようだが、実は身近な問題だ。熱帯アジア由来の木材「南洋材」は合板やパルプに姿を変えて日本に入ってくる。とくに輸入合板の50%はボルネオ島のマレーシア・サラワク州産といわれており、建築材やコンクリートの型枠として多く利用されている。また、パーム油は、世界消費量トップの植物油脂であり、日本では植物油消費量の24%を占めている。その高い需要がアブラヤシ・プランテーションの開発を加速させ、森林が大規模に皆伐される。そしてパーム油主要生産国として、広大な候補地があり、台風被害のないインドネシアとマレーシアの2国が世界シェアの85%を占めている。


野生動物を考慮した熱帯商業林管理: 塩場と野生動物

 熱帯雨林の野生動物保全と木材資源利用の両立を図るには、どうしたら良いのだろうか。その鍵になるのが、野生動物を考慮した熱帯商業林管理である。特に、商業林の中で絶滅危惧種をはじめとする複数種がよく利用する環境を優先的に保全していく事が必要であろう。しかし、絶滅危惧種は生息数が少ないうえ警戒心も高く、植物が生い茂る見通しの悪い環境での調査は困難である。そこで着目したのが、森林内に散在する天然のミネラル源「塩場」であった。
 ナトリウム(塩)は、動物にとっては細胞内外の浸透圧維持や神経伝達、筋収縮、体の弱アルカリ性保持、小腸でのブトウ糖やアミノ酸といった栄養素の吸収補助など必要不可欠だが、植物にとっては必須栄養素ではないため植物体にあまり含まれていない。そのため、植食性の野生動物はナトリウムを食物以外から積極的に摂取する必要があり、塩場はナトリウム摂取の場所として重要な環境の一つと考えられる。しかし、東南アジアにおける塩場と野生動物に関する研究はほとんど行われていなかった。


自動撮影カメラによる 塩場利用種のモニタリング

 私は、1997年からマレーシア・サバ州の熱帯雨林で様々な野生動物の生態研究に携わってきた。その内の一つ、デラマコット商業林における自動撮影カメラによる塩場の哺乳類調査は2003年から継続している。自動撮影カメラとは、赤外線センサーによって動物を感知すると自動でシャッターを切ってくれる優れもので、目視観察に比べて動物に与える影響が少なく、24時間の記録が可能である。
 これまでの調査から、塩場が多くの野生動物にとって重要な環境であることが分かった。とくに樹上性かつ単独性のオランウータンが塩場をよく利用していることが新たに明らかとなり、塩場がミネラル摂取の場だけでなくメスを待つ出会いの場という社会的な意義を有することも示唆された。これらの結果を受けて、サバ州森林局では、塩場周辺は伐採せず重点保護区にすることを森林管理政策として採用するようになった。
 その一方で、種によって利用する塩場に大きな偏りがあり、それを把握するには長期間の調査が必要であった。また自動撮影カメラも撮影範囲の制限や解像度、高温多湿による故障、コストなどの問題があった。そこで短時間で塩場利用種を把握する手段として、塩場の環境DNAを調べることで利用種を効率良く把握出来るのではないかと考えた。


環境DNA解析による塩場利用種の検出

 近年、魚類を含む水生生物の粘液や糞などの排泄物から放出されるDNAが水中を漂っていることが明らかになり、「環境DNA」と呼ばれて大きな注目を集めている。DNAの塩基配列には生物の種類が分かる情報が含まれており、それを次世代シーケンサーと呼ばれる最新機器で決定すれば、海や川に生息する魚種が短時間で把握できる。この技術は「環境DNAメタバーコーディング」と呼ばれ、環境中に存在する複数の生物由来DNAを同時に検出する方法である。魚類では千葉県立中央博物館の宮正樹部長らの研究グループが開発(MiFishプライマー)、「バケツ1杯の水で海や川に棲んでいる魚がわかる技術」として大きな話題を呼んでいる。さらに、宮部長らは本技術を世界に先駆けて陸生哺乳類に適用した(MiMammalプライマーの開発)。そこで我々は、昨年2016年、本技術を熱帯雨林の哺乳類調査に応用することを試みた。
 まず、4カ所の塩場から コップ1杯ほど(100〜150㍉㍑)の水を採取しDNAを抽出、次いで、目的領域をMiMammalプライマーにより増幅して次世代シーケンサーで解読した。そして、得られた100万本以上のDNA配列が何に由来するのかをコンピュータ解析したところ、世界で初めて熱帯雨林の塩場の水からオランウータン(図2)や野生ウシのバンテン、センザンコウを含む6種の絶滅危惧種の検出に成功した。また、検出された種は、これまでの自動撮影カメラの結果と同様、各種のおおよその利用特性を反映していた。これらの結果から、高温多湿でDNAが分解されやすい熱帯雨林においても本技術により効率的に哺乳類調査を行えることが示された。
 MiMammalを用いた塩場環境DNA分析には課題もある。確かに得られた種ごとの検出数はこれまでの自動撮影カメラの結果を反映していたものの、塩場環境DNA分析結果を定量化するには、自動撮影カメラと塩場でのサンプリングをリアルタイムで行い比較検討する必要がある。また、塩場にはトップ利用者である大型のシカ・サンバーのDNAが大量に含まれて飽和状態にあったと考えられ、それが原因で検出できなかった種もあった可能性もある。そのため、検出割合が極端に高い生物種の増幅を抑え、検出種数をあげることを目的としたブロッキングプライマーによってサンバーのDNA増幅を抑えて他種の検出効率をあげるという工夫も必要であろう。そして何より、熱帯アジア地域に生息する哺乳類、とくに絶滅危惧種のような注目種以外のDNA情報が乏しいという問題も大きい。したがって、熱帯アジア地域のDNAデータベースの構築を早急に進めることが求められる。


おわりに:熱帯アジアの自然環境保全と 人材育成

 自動撮影カメラに加えて、新たに、コップ1杯の塩場の水から「どんな絶滅危惧種が、どの塩場をよく利用しているのか」を把握することが可能となった。環境DNAは、メタバーコーディング解析の専門家と野生動物生態の専門家、両者の協力によりはじめて活かされる研究領域である。本研究をモデルケースとして、今後、他の熱帯商業林、とくに遠隔地の塩場や早急に調査を進める必要がある地域において、野生動物の生息状況を把握する有力なツールになることが期待される。
 現在、「塩場と野生動物」プロジェクトのマレーシア他地域やインドネシアへの拡大を進めている。本プロジェクトを進めるうえで現地大学の学生を巻き込んでの研究・教育活動、熱帯アジアの森林と野生動物保全を担う人材育成は欠かせない。東京農業大学は多くの海外協定校を有しており、熱帯アジアの自然環境保全と人材育成分野においても貢献することができるだろう。

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