東京農業大学

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教員コラム

個性豊かな酵母たち

2015年3月1日

短期大学部醸造学科 准教授 数岡 孝幸

−新規清酒製造用酵母を求めて−

清酒消費量の減少

 日本で古くから造られている清酒は、現在では冠婚葬祭などに欠かせないほど生活に密着している。しかし、その消費量は1975年頃のピークを境に現在に至るまで減少し続けている(図1)。その要因として、消費者が選択することできる酒類の増加、若者の酒離れ、主な清酒消費者の高齢化、さらには景気の低迷、娯楽の多様化にともなう酒類購入に充てられる費用の減少などさまざまな要因が考えられるが、消費者の嗜好の多様化もその一因であると考えられる。

 

清酒製造と清酒酵母

 米、米麹、水を原料として発酵させて造る清酒の醪では、並行複発酵、高濃度仕込み、低温発酵、乳酸による酸性条件など、他の酒類とは異なる清酒製造特有の発酵環境が形成されている。清酒酵母は、そのような環境下で発酵力が強く、良質の清酒を造る適性を持つ一群の酵母である。
 かつて日本には現存する数を大きく上回る清酒製造蔵が存在し、それぞれの立地条件(環境要因)や製造法、使用する麹菌や蔵付き酵母の性質で特色ある清酒が製造されてきたが、同時に造られる清酒の品質の不安定さを招いていた。近代的な清酒製造では野生酵母に汚染されずに良質な製品を安定して生産することを目的に、酒母製造工程において純粋培養した優良清酒酵母が多量に添加される。清酒の酒質は原料や製造工程におけるさまざまな要因によって変化するが、使用する清酒酵母の種類も重要な要素の一つである。
 1911年以降、全国新酒鑑評会などで高い評価を得るなどして優れた性質を有すると認められた酵母が日本醸造協会によって集められ、純粋培養されて「きょうかい酵母」として頒布されている。現在では、日本で製造される多くの清酒の製造に「きょうかい酵母」が使用されているが、清酒製造用酵母の多様性という観点では、約100年間にわたって少数の優れた酵母が多くの蔵に使用されることで、多様な蔵付き酵母が駆逐されてしまったとも言える。
 一方で、近年の消費者の嗜好の多様化に伴い清酒の酒質の多様化が求められ、「きょうかい酵母」を基にした薬剤耐性株取得による育種や清酒醪からの変異株の分離が試みられている。また既存の酵母からの育種ではなく、新たな清酒酵母を自然界から分離することも試みられている。しかし、自然界では酵母の中でも特定のビタミンを要求しないものが支配的であるため、新たな清酒酵母の取得には分離方法の工夫が必要である。

 

個性豊かな酵母取得の試み

 我々は約15年間にわたり清酒醪で十分なアルコール発酵能を有し、個性的な清酒を製造できる清酒製造用酵母の探索を続けている。酵母の分離源として、消費者の身近に存在し、日本各地でその地域を象徴する場合があり、さらに商品とした際にイメージが良く、それらに加えて酵母が存在する可能性が高い糖源(蜜)を有する花に着目し、得られた酵母を世に送り出してきた。現在では我々と同じ着眼点から、県の技術センターによる地域産業の活性化や地域ブランド創出の試みの一環として、また実験の試み易さから高校生の生物部などの活動の一環として酵母の分離が広く試みられているが、それら試みの分離効率は大抵低い。また、取得された酵母の中には、清酒製造においてアルコール度数が十分に上昇しないため、低アルコール清酒の製造などにその用途が限られてしまうものも存在する。
 その一方、我々は現在まで分離法の改良を試み続け、清酒醪で「きょうかい酵母」と同等のアルコール発酵能を有する酵母の分離を容易に成し遂げられるようになっている。現在では、数多く取得される酵母それぞれの個性(醸造特性や醸す清酒の風味)を把握し、優れた酒質の清酒を醸す可能性を有する酵母を選抜後(図2)、新規の清酒製造用酵母として実用化を試みている。

 

分離酵母とその個性

 花から分離した清酒製造用酵母を用いた小仕込み試験による製成酒の分析結果をもとに、カプロン酸エチル、酢酸イソアミル、リンゴ酸の3つの成分に着目して紹介する。カプロン酸エチルと酢酸イソアミルはともに清酒の吟醸香と呼ばれる香りの成分で、カプロン酸エチルはリンゴや洋ナシの香りに、酢酸イソアミルはバナナの香りに例えられ、リンゴ酸はさわやかな酸味を清酒に付与する。これら3つの成分は清酒を飲む際に直感的に感じられやすい清酒の基本的な風味を形成しているが、3つの成分が同じ傾向を示す清酒を醸す酵母でも、実際にはその他の成分によって異なる味わいの清酒となる。
 例えば、アベリアの花から分離されたAB2株で醸される清酒は、酢酸イソアミルの含有量が少ないが、カプロン酸エチルとリンゴ酸の含有量が多くなる。そのため、華やかなリンゴや洋ナシのような吟醸香があり、甘みの中に爽やかな酸味が感じられるキレのある酒質になる傾向がある(図3)。

 

分離酵母の実用化

 分離酵母がどのような酒質の清酒を醸すことができるのかの傾向は、研究室で行う小仕込み試験で知ることができる。しかし実際に製品となりうるかは実際に蔵での仕込みを行う必要がある。清酒製造蔵における清酒製造では研究室で行う試験の百倍以上の原料で仕込み、作業も熟練した蔵人によってなされるため、製成酒の酒質はより洗練されたものとなる。また、それぞれの蔵の製造方法や原料によって、同じ酵母を用いても味わいの異なる清酒となる。そこで、当研究室の分離酵母を世に広めることを目的に結成された花酵母研究会(http://www.hanakoubo.jp/)の会員蔵に依頼し、仕込みを行っていただいている。造られた清酒は、花酵母研究会の勉強会にて研究会会員による利き酒で評価され、興味をもった会員蔵によって酵母が使用され製品化されることになる。

 

分離酵母の今後

 我々が分離した酵母は、既存の清酒酵母が醸すことができない特徴ある風味の清酒を醸す。さらに分離酵母の中には、焼酎・泡盛・ビールの醪環境に適応するものも存在するため、種々の酒類製造への応用、さらには酵母を用いる発酵食品製造への応用が期待される。同時に清酒酵母に関するさまざまな学術的研究にとってもこれらの酵母は有用であり、清酒酵母の特性や醸される清酒のある特定の風味と遺伝子の相関関係の解明などに今度取り組みたい。

 

図1 清酒の課税出荷量推移
図2 新規清酒製造用酵母の分離
図3 新規清酒製造用酵母が醸す清酒の傾向


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