東京農業大学

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教員コラム

東京農大・東日本支援プロジェクト3年間の経験を伝えるその1 震災発生時から支援組織結成までの対応

2014年5月1日

国際食料情報学部国際バイオビジネス学科 教授 門間 敏幸

1.はじめに

 2011年3月11日の東日本大震災の発生直後から福島県相馬市を復興支援研究の対象地としてスタートした東京農大の東日本支援プロジェクトも早3年を迎えようとしている。今、改めて3年間を振り返ってみると、震災直後の被害のすさまじさに押し潰されそうになった初めての現地調査、試行錯誤の連続で不安な毎日を過ごした1年目、目の前にある問題を一つ一つ解決するとともに、明るく献身的な学生たちに支えられ次第に現地との信頼関係を構築した2年目、そして我々の研究成果を受け入れ被災地の農業が着実な復旧の歩みを始めた3年目と、感慨深いものがある。
 現時点で、東日本支援プロジェクト3年間の経験から得たことを総括することは、今後、同様な危機が発生した場合の教育・研究機関の迅速かつ的確な対応を実践するうえで極めて重要であると思われる。そのため、実学ジャーナル2014年5月号、6月号、7月号(8月との合併号)の3回の紙面を借りて『東京農大・東日本支援プロジェクト3年間の経験を伝える』と題して、以下の内容で報告させていただく。
  第1回(5月号):"震災発生時から支援組織結成までの対応"
  第2回(6月号):"復旧・復興支援活動展開時の対応"
  第3回(7+8月号):"復旧から復興・再生へのギアの切り換え"
 第1回の今回は、"震災発生時から支援組織結成までの対応"と題して、東日本大震災発生を受けて復興支援のためのプロジェクト組織を結成して、具体的な支援活動を展開するまでの望ましい対応のあり方を、東日本支援プロジェクトの経験を踏まえて総括する。

 

2.大震災発生直後の東京農大

(1)被災学生の確認と救済
 東日本大震災のような大災害が発生した場合に、まず第1に行う対応は個人・組織に関わらず安否確認と被災者の救済である。東京農大でも、東日本大震災直後から教室、実験室などの地震被害の確認と被災学生の確認作業に全力を挙げて取り組んだ。しかし、当時は春休みと重なり安否確認に手間取り、最終的に安否確認ができたのは3月31日であった。その後確認できた災害適用地域の新入学生335人と在校生1,401人を対象に、具体的な救済方策の必要性を検討し、支援が必要な学生204人を特定した。具体的な支援策としては、学費の減免と生活費の補助である。支援金額は、2011年度約2億円、2012年度1億1,000万円である。
 東京農業大学のような多くの学生が全国から集まる大学における危機管理のためには、休暇時期の学生との連絡を確実に取れる体制を整備しておくことが重要である。特に研究室に所属していない1年生、2年生との連絡体制の整備は緊急を要する。

(2)災害支援プロジェクトの発足
1)学生ボランティアへの対応
 今回の東日本大震災では、震災直後から教員・学生の中から自然発生的に「被災地の支援を大学として行うべきではないか」「自分たちができることをしたい」という意見がわきあがった。特に学生からは被災地支援のボランティアに参加したいという声が、教員からは被災地の復旧・復興と被災した多くの学生のためにも、大学として被災地の農林水産業の復興支援の取り組みをすべきであるという声があがった。
 こうした教員・学生の思いを大学組織として真摯にかつ組織的に受け止めることが大事である。すなわち、研究支援プロジェクトと学生ボランティア組織の結成と予算の確保である。特に、ボランティア参加学生の安全確保のための体制整備は重要である。
 また、一般と異なる大学組織として個性あるボランテイア活動を展開することが重要である。その点、東京農大では在学生の父母で組織する教育後援会の資金協力を得て、仮設住宅における生活環境整備(癒やしのための花壇や家庭菜園づくりといった、東京農大の研究・教育の一つであるバイオセラピー学の研究成果の実践)を中心とした活動が継続的に展開されたことは特筆できる取り組みといえる(写真1)。
また、後述するが、支援対象地域の農家の迅速な営農再開を支援するための学生ボランティアもその後の支援活動展開に大きく貢献してくれた(写真2)。
2)研究支援プロジェクト
 一方、農学研究に関するこれまでの東京農業大学の研究蓄積を結集して被災地の復興支援を実践するためのプロジェクトについては、大澤貫寿前学長(現:学校法人東京農業大学理事長)の主導で迅速に進められた。研究予算も年間1,800万円の独自予算が学内で確保された。
 東京農大の東日本支援プロジェクトがこれまで比較的順調に成果を実現することができたのは、全学を挙げての組織が形成されたことと、独自予算の確保にあったことは言うまでもない(写真3)。
 東日本大震災の被災地には、震災直後から多くの大学、研究機関の研究者が入り、それぞれの組織や研究者個人の興味でデータを採っていった。中には被災地の復旧支援というよりも、未曽有の災害に関する未知のデータの獲得だけを目指した研究者がいたことも確かである。このことは、採集したデータに関する分析結果を現地に返さないという被災地の方々の不満からも確認できる。
 また、外部資金を獲得した研究者の場合、研究計画に沿った研究の遂行による研究実績の実現が求められるため、現場で刻々と変化する問題への対応を軽視するという傾向があったことも指摘できる。さらに、外部資金での研究の場合、研究期間が終了すれば、新たな予算の確保がなされない限り、研究は打ち切られてしまう。そして、特定の地域に多くの研究者が入り込み、その対応に農家・関係機関の方々が振り回されるという問題も指摘されている。
 東京農大が全学を挙げたプロジェクト組織を結成したことは、研究者個々の興味を超えて、大学として被災地の問題解決にあたるという使命感と問題意識の統一と、自前予算で柔軟な研究ができる事により、現地と一体となった復旧・復興支援研究の実践を可能にした。常に計画どおりの研究の推進と成果を出さなければ、研究予算を切られるという強迫観念から解き放たれ、思い切った研究ができるという重要な効果をうみだした。

 

3.支援地域選定と関係機関との連携の重要性

(1)支援地域選定
 東京農大が支援活動地域を選定するにあたっては、「東日本大震災からの真の復興を実現するためには、地震・津波・放射能汚染・風評という四つの問題に対する対応技術・方法の開発と普及が不可欠」であるという共通認識の存在が重要であった。さらに、以上の共通認識に加えて、1.被災地への立ち入りが禁止されていない、2.作物等の作付け制限を実施していない、という二つの条件を追加した。その結果、福島県相馬市を選定した。
 東京農大の支援地域の選定にあたっては、「津波被害であれば、より問題が深刻な形で現れている宮城県の沿岸地域を、放射線被害に関しても、避難地域や避難解除準備地域等の被害が深刻な地域を選択すべきではないか」という学内の意見、東京農大は「放射線被害がそれほど深刻でない地域を選定している」という批判があったことも事実である。
 しかしながら、被害の大小に関わらず震災復旧対策技術は共通に利用できるものである、また作付け制限がかけられている地域では、開発した技術が迅速に普及せず、被災農家の真に求める問題解決ができない、という我々の信念は揺らぐことがなかった。今では、プロジェクト対象地域として相馬市を選定したことの幸運に感謝している(写真4)。

(2)関係機関との連携
 震災直後の相馬市が抱えた農業の復旧課題は、農地・水路、ため池等農業インフラや集出荷施設の被害状況を正確に把握するとともに、震災からの復旧・復興作業に参加できる担い手の確保・組織化であった。津波被害地域においては、農地に膨大なガレキが堆積するとともに、農道、水路・水利施設、さまざまな農業施設が破壊された状況下で、我々ができることは限られている(写真5)(写真6)。
 また、放射能汚染地域においても、福島第1原子力発電所が爆発した当時は、住民の避難、健康不安への対策が中心となり、農業生産の復旧への取り組み以前の混乱状態にあった。こうした状況下での被災地支援活動に関しては、我々も大きな失敗を犯してしまった。すなわち、震災直後の混乱期に支援活動を実施しようとして、関係機関の担当者に多大な迷惑をかけてしまったことである。この時期の被災地の関係機関の職員の業務は肉体的にも精神的にも我々の想像を超えて過酷であり、震災直後の支援活動は避けるべきであったと反省している。
 しかし、その後は相馬市役所、農協、普及機関とは、良好な信頼関係を構築することができ、その後の支援活動はスムーズに展開している。こうした関係機関との良好な連携関係を構築する上で大切なことは、次のように整理することができる。

 

4.研究組織構築のポイント

 東京農大が当初組織化したプロジェクト組織は、図1のとおりである。すなわち、震災復興の問題解決の局面に従って、八つの専門家チームを設定した。しかしながら、実学研究の実践の場合、チームの活動が始動するのは、現場からの問題解決の要請があった場合である。また、問題解決要請がなくても現場に出向いて問題解決が必要とされている場面を探して活動することが重要である。
 東京農大の場合、「津波土砂が堆積した水田土壌の復元」「森林の放射能汚染実態の解明」「震災直後の農家の営農意欲と営農再開を阻害している要因の解明」「放射能汚染地域の効果的な除染方法の解明」「風評被害対策」が緊急課題として解決を求められた。支援活動を展開する中で、「農業法人など新たな担い手組織の育成」「放射性セシウムの吸収抑制技術の開発」「放射能に汚染された木材の除染方法」「新たな担い手の6次産業化支援」「甚大な津波被害を受けた農地の復元と農業システムの提案」等の支援要請があり、その後、支援活動を展開することになった。
 しかし、「復興住宅入居者に対する栄養健康相談」「新たに設置される魚市場における衛生管理システムの提案」などについては、専門家不足で対応することができなかった。
 なお、こうした問題解決型の専門家チームは、要請がなくなった時点で、さらには要請内容が変化した時点でチームを解消する等、柔軟に対応することが必要である。問題解決局面と重要度は刻一刻と変化するものである。それに応じて専門家チームも変化させていく必要がある。


第2回(6月号)では、"復旧・復興支援活動展開時の対応"について述べる。

写真1 復興ボランティア学生による仮設住宅での大根の収穫風景
出所:https://ja-jp.facebook.com/nodai.shinbora
写真2 迅速な営農再開に貢献した学生たち
写真3 相馬の被災地の視察風景・大澤前学長
写真4 福島県農業総合センター浜地域研究所(相馬市)で意見交換
写真5 ガレキが堆積した水田
写真6 塩害でひび割れた水田
図1 初期の東日本支援プロジェクトの組織


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