東京農業大学

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教員コラム

情報を消費する日本の「食」

2009年6月16日

国際食料情報学部食料環境経済学科 教授 高柳 長直

地域振興としての地域ブランド

本学部食料環境経済学科の経済地理学研究室は、東京農業大学で唯一、地理学を専門としている。地理学と言われても、何を研究しているのかイメージできない人も少なくないであろう。多くの学問分野は、研究の対象で分けられているのに対し、地理学の対象はとても幅広く、地理学は研究の方法に特徴がある。ひとことで言えば、地理学とは、地域や場所との関連で現象をとらえる学問である。

 

農産物や食品の「品質」とは

昨年来、米、ウナギ、牛肉、タケノコなどの産地偽装問題が相次いで発覚している。何年も前から、同じことが繰り返され、消費者は「またか!」と不安になるとともに、あきれている。こうした問題がなぜ生じるのか。「業者のモラルの問題」と言うのは簡単だが、問題の解決にはほど遠い。

根本的には、産地あるいはその標章としての地名が、農産物や食品の品質をはかる上で、重要性を増してきたことがあげられる。では、農産物や食品の品質とは何であろうか。野菜や果実の産地では、「品質」を上げるために、選別を強化してきた。色や形状のみならず、糖度なども測定できる非破壊センサーで、自動的に選別する機械の導入が進められてきた(図1)。もちろん、甘みがのっている果物の品質が一般に高いことは言うまでもない。しかし、計測できる要素だけが品質を決めているわけではない。

例えば、家庭菜園でとれた野菜。何となくおいしく感じられることがある。本当は、第三者が評価すれば、プロの農家が作った野菜のほうが、食味ははるかに良好なのに。家庭菜園の野菜の味には、自分が苦労して育てたという思いが含まれているのである。

 

社会的に形成される「品質」

人間の味覚はとても複雑である。同じものを食べても人によって感じ方が異なるし、国が違えば、食文化も大きく異なる。食料環境経済学科の海外研修でアメリカに引率に行ったことがあるが、ひとりの学生が最後に食事についての感想を漏らした。「先生、アメリカの食べ物ってまずいね。自由行動のときのマクドナルドがいちばんおいしかったよ」。農園では手作りサンドイッチが出されたし、港の見えるちょっと高級なレストランで、サーモンステーキも食べた。それでも、外国に行って食べ慣れたファストフードのほうがおいしいと感じる若者は少なくない。

農産物や食品の品質は、最初から決まっているわけではないし、食べる人によっても異なる。つまり、品質は商品に内在しているのではなく、社会的に形成されるのである。

 

食品に付随する各種情報

食卓の雰囲気によっても味がまったく違うという経験は誰しもあろう。つまり、「おいしいしい」と思って食べるからこそ、おいしく感じられる。

現代の日本では、「おいしい」と思わせる情報が氾濫している。テレビをつければ、一流シェフのいるレストランが評判だとレポーターがいかにもおいしそうに食べている光景が映されている。雑誌を開けば、全国各地のお取り寄せの品々が美しいカラー写真付きで紹介されている。多くの日本人が、こうしたグルメ情報を追体験している。今や、我々は、食品を可食部分のみならず、食品に付随する情報を消費しているのだ。

食品に付随する情報には、どのような環境で作られたのか、誰がどのように作ったのか、どのような原材料を使用しているのか、作った人の熱意や思い入れはいかなるものかなど、多岐にわたる。このような情報を、農産物や食品のパッケージにすべて詳細に記載することは不可能である。仮に、記載できたとしても、細かい字が並んでいるだけで、契約書の約款のように誰も読まない。

 

地域ブランド化の取り組み

そこで、こうした情報を凝縮して表現する方法として地名が採用されているのである。農産物では、「小松菜」「伊予柑」「さつまいも」や「飛騨牛」「夕張メロン」「京野菜」など、地名に由来したり、地名を冠したものが多数みられる。これには次の二つの理由が考えられる。

第一に、かつて、特定の地域で生産される産物は、他の地域とは大きく異なった特徴を持っていた。これは、狭い地域の中で農産物は採種され、家畜が交配されてきた。その結果、在来種が地域内で伝統的に受け継がれてきたからである。しかも、在来種は地域の気候や土壌などの環境に適したものであった。そのため、生産地域が規定した品種を、他の地域産のものと区別する上で、地名を用いることは合理的であった。

第二に、農産物を生産する農家は小規模である。したがって、農家単位では出荷量が少なく、仮に農家単位で識別するためのブランドを付けたとしても、流通過程での作業は繁雑になるし、消費者がブランドを認知するようになることも困難である。また、たとえ消費者が、特定の農家が作った農産物を継続して買いたいと思っても、無数の生産者が作ったものの中から目的の商品を見つけることも、ほとんど不可能である。実際、多くの日本の産地では、生産者がまとまって共選共販体制が整えられてきた。

このように、地名が農産物や食品の品質を推し測る重要な指標となり、地域ブランドによってプレミアム利益が獲得できる。さらに、2006年から、地名を含む標章を一定の条件の下に商標登録が可能になった。こうしたことで、地域ブランドが着目され、各地でブランド化の取り組みがブームとなった。

地域に根ざした農産物といっても、ひとたび市場で名声を獲得すると、生産地域は広域化する傾向にある。たとえば、京野菜のなかでも代表的な野菜であるみず菜は、本家の京都よりも関東地方のほうが生産がさかんである(図2)。茨城県内のある農家を調査したが、大規模な企業的経営で、中国人研修生の手で収穫されていた。

 

農産物に物語性の演出も

現代の日本では、農産物などの食品の提供者と消費者は分かれており、しかも空間的にも生産地域と消費地域が分離している。都市部にあっては、地産地消は植物工場のようにビルの中で農産物を生産しない限り、現実的にはほとんど不可能である。このような状況の中で、食品そのもののみならず、地名など情報が消費者にとって重要な意味を持つとすれば、農産物の産地が地域振興を行う上で、単にネーミングに地名を使用するだけでは、ブランド化は成功しない。

消費者においしく食べてもらうための仕掛けが必要である。つまり、食品に物語性を加えることが重要である。例えば、牛肉の場合、飼料にしても、飼養方法にしても、肉牛生産にこだわりを持ち、生産者の心意気を消費者に伝えていく。たとえ、肉質の改善には、大きな相違がなくても、特別に生産されたものは、おいしいと感じることが多いものである。嘘はいけないが、演出は付加価値である。

 

 

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