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東京農業大学地域環境科学部造園科学科
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○造園・ランドスケープって?
○第6回「造園科学科の創始者は「明治神宮の森」もつくった」
(2009.5.29〜9.27掲載) 濱野周泰
     
 東京都内には、森といわれる大きな樹林がいくつかあります。その中でも、特に大きくよく知られている森が「明治神宮の森」です。新宿や渋谷の高層ビルから眺めた明治神宮の森は、建物や道路に埋めつくされた都会という大海原に浮かんでいる緑の島のようにみえます。明治神宮は、三が日で300万人を越す人々が初詣に訪れる神社です。日本一の初詣の人出が示すように明治神宮は、神社の中では飛び抜けて高い知名度があります。明治神宮の名が広く知られているのは、神社をとりまいている森の存在です。背が高く青々とした木々は重厚で落ち着いた森の姿を創り出し、荘厳な神社の雰囲気を醸し出しています。森と神社が一体となって明治神宮の存在を鮮明にしています。神社の森はしゃ社そう叢といわれており、近年、お寺の森もこの社叢の概念に含めることがあります。

「人のつくった森」
 明治神宮の森は、太古から自然の営みによって現代まで継続してきた原生林のように見えます。しかし、明治神宮の森は、人がつくった人工の森です。明治45年7月に崩御(死去)された明治天皇を奉祀する神宮として、大正4年から造営工事が始まりました。神社の樹林としての林苑工事には、樹木代金は全く計上されていませんでした。植え付ける樹木は、国民からの献木によって調達する計画になっていました。献木は台湾、朝鮮から樺太まで全国から279種10万本の樹木が集まりました。

 大正13年(1924)、東京農業大学造園科学科の前進である東京高等造園学校を創設した上原敬二は、大正3年に大学を卒業するのとほぼ同時に翌4年から林苑の造成工事に携わりました。原宿からの引き込み線で入ってくる樹木の種類に合わせて植える位置を指示し、植え付けを監督しました。樹木の種類に合わせて植えることは「適地適木」、「適地適栽」などと表現します。造園植栽の大原則として大変重要なことです。上原敬二は、現場第一として50人以上の植木職人を監督しながら移植工事を進めました。現場で得られた技術は理論の裏付けとなり「樹木根廻運搬並移植法」という図書にまとめられ、現在でも樹木を取り扱う上での原典になっています。

 林苑関係者は、境内林造成の方針を「永遠の杜」としました。このコンセプトを具体化することは容易ではありませんでした。上原敬二は、このコンセプトを具体化する方策として仁徳陵の森を理想形としました。この森に近づける方法として植栽した樹木の中で、森が成立するように将来に期待する樹木について50年、100年、150年後の三段階に分けて変化の道程を示す予想図を作成して造営局へ提出しています。それを基に実際の工事が行われ、予想よりもやや時期は早まりましたが、今、われわれが目にする常緑広葉樹の「永遠の杜」が見事に出来上がったのです。現在の明治神宮の森は、大正時代に上原敬二が現場から得た情報を背景として、植物の気候的極相にいたる遷移過程を代々木の地へ展開した姿といえます。