創設者 榎本武揚子爵
 東京農業大学は明治24年3月6日,榎本武揚(えのもとたけあき)によって,徳川育英会を母体にした私立育英黌農業科として設置されました。
 育英黌の後身「東京農学校」第2回卒業式の式辞として榎本武揚は,次のように述べています。
 「我農民特有の能力に加ふるに,学術と実験とを以て,農業に属する各般の改良を図らば,其の国家の富源を増進すべきこと,決して擬を容るべからず。(中略)諸子其れ本校に於て得たる所の技能を実際に施し,以て父兄の業を拡張し,更に進んで国家富強の基を開かれんこと拙者が諸子に望む所なり。」
 この言葉は,農業の発展が近代国家の建設にとって極めて重要であり,それを担う農業後継者である卒業生に送ったものです。当時は官立の農学校の創草期でしたが,官吏養成を主目的としない,わが国はじめての私立の農学校として設立した本学の建学の理想がうかがえます。


初代学長 横井時敬博士 
 本学の建学の理念を築いたのは,明治30年から昭和2年までの30年間,心血を注いで本学を育成した,わが国近代農業の鼻祖といわれる初代学長横井時敬(よこい ときよし)です。
 横井時敬は農学の教育研究をとおして農業,農業関連産業及び農村文化・農村社会の発展に寄与する人材の育成を目指し,その教育理念を「実学主義」におきました。横井時敬の「稲のことは稲にきけ,農業のことは農民にきけ」は,今もって本学における研究教育の精神的支柱になっており,観念論を排し実際から学ぶ姿勢をこの言葉に込めています。
 そして「人物を畑に還す」と。さらに「農学栄えて農業亡ぶ」という警世の句を残し,教育研究は学問のための学問を排し産業界から遊離しない実学研究でなければならないとしました。
 また人格の陶冶を,質実剛健(しつじつごうけん),独立不羈(どくりつふき),自彊不息(じきょうやまず)の言葉で表現し,「気骨と主体性」をもった紳士の育成を目指しました。