がん抑制メカニズムの解明と応用

 

東京農業大学 応用生物科学部生物応用化学科 准教授 専門分野:栄養生化学・細胞生物学

山本祐司(やまもと ゆうじ)

主な研究テーマ:「癌抑制機構の分子メカニズムの解析」
1965年アメリカ合衆国マサチューセッツ州生まれ。 東京農業大学農学研究科博士前期課程修了。

結節性硬化症とは

結節性硬化症(TSC)は性別・国籍を問わず、約8,000人に一人が発症する難治性疾患のひとつで、全身に腫瘍を発症する遺伝性の疾患である。腫瘍の特徴としては細胞の異常成長が観察され、それとともに、この疾患のもうひとつの特徴として患者の精神遅滞や癲癇の症状がみられ、患者のみならずその家族にとっても大きな負担となる

腫瘍細胞が大きくなる理由

これまでの解析から原因遺伝子としてTSC1遺伝子ならびにTSC2遺伝子が2000年前後に同定され、一気に治療法解明に至るものと期待された。また、TSC1遺伝子はハマルチンをTSC2遺伝子はツベリンというタンパク質をコードしており、どちらかのタンパク質が正常に機能しなくなっても、病状を発症することが示されたことから、これらタンパク質をコードする遺伝子TSC1とTSC2はがん抑制遺伝子群に属することが明らかとなった。この10年間で、いくつかの重要な発見があり、ハマルチンとツベリンが細胞内で複合体を作り機能することや、この疾患ではインスリンの細胞内情報伝達メカニズムに異常をきたしていることがわかってきた。すなわち、細胞成長をハマルチン・ツベリン複合体が負に制御しており、インスリンシグナルにより、ハマルチン・ツベリン複合体が解離することで、細胞成長が促進することが明らかとなった。この発見により結節性硬化症患者の腫瘍細胞が大きくなる理由が明らかになり、標的タンパク質合成因子の阻害薬として既に明らかであった、rapamycinが治療薬として有効なのではないかとされた。動物実験やアメリカ、ヨーロッパで行われた患者への治験結果から、腫瘍の縮小などは観察され、有効性が示された。

ハマルチンとツベリンの機能

しかし、結節性硬化症の病変の解析から、ツベリン、ハマルチンは細胞の分化、細胞周期や細胞遊走も制御する可能性が示唆され、また、タンパク質合成系の制御では精神遅滞や癲癇の発病メカニズムを明らかにすることは出来なかった(図1)。また、rapamycinが精神遅滞や癲癇を軽減するとの報告はない。   すなわち、ハマルチン、ツベリンは単一の細胞内シグナルを制御するのではなく、複数のシグナル経路を制御する可能性が考えられた。特に、細胞内での存在形態を調べたところ、ハマルチン・ツベリン複合体は細胞膜結合タイプと遊離タイプが存在してばかりでなく、遊離型のハマルチン、ツベリンが各々確認されたことからも、細胞内で多様な存在形態を形成することで、多彩な生理機能を発揮するのではないかと予想した。

農学分野への応用も

従って、ツベリンとハマルチンはいろいろな異なるタンパク質と相互作用することで、現在まで明らかにされている以上により複雑な経路の制御に携わっている可能性があり、その機能を制御する栄養成分や薬剤が発見されれば、結節性硬化症患者やその家族の負担を軽減できる可能性がある。  そこで、ハマルチン、ツベリンと他のタンパク質因子との結合を制御する栄養素や天然から抽出してきた有機化合物、薬剤が同定できれば、結節性硬化症の治療薬としてばかりでなく、多方面への応用が考えられる。例えば、細胞が大きくなることを利用し、農学分野への応用が考えられる。そこで、この制御化合物のスクリーニング方法の構築を試みた。基礎的試験では、スクリーニング系が機能する事が確認され、今後、いろいろな天然有機化合物を用いて探索を開始する。

生活習慣病予防への応用の可能性

インスリンシグナルはメタボリックシンドロームにみられるインスリン抵抗性の原因解明の観点から非常に興味が持たれています。ハマルチン・ツベリン複合体がインスリンシグナルを負に制御する因子として位置づけるなら、インスリン抵抗性のひとつのターゲットと考えることができる。すなわち、私たちの研究結果は結節性硬化症の原因解明のみならず、生活習慣病のメカニズムを分子レベルで説明できる可能性を秘めているとも考えられる。そして、今回確立したスクリーニング系でもし有効な化合物が同定されれば、栄養学の分野に大きな貢献ができるものと期待している予定である。

まとめ

細胞機能は外部からの単一の刺激で制御されるのではなく、幾つもの外部シグナルの組み合わせにより、異なる応答を示す事は生化学の教科書に書かれている。今回の先端研究の研究結果を通じ、ハマルチン、ツベリンをモデルとして、細胞内で情報伝達メカニズムが幾重にも複雑に交錯し、または制御し合うことで、細胞分裂、分化、遊走、成長することのメカニズム解明の扉の前に立つことができた。この先は、複雑に絡み合う情報網を一つずつときほどきながら、生命の真理、農学の発展に貢献できればと思っている。

 

 

 

×CLOSE