世界一の乳酸菌保存を目指す

東京農大菌株保存室に脚光

 

東京農業大学応用生物科学部生物応用化学科(微生物学研究室)教授。同学科長
岡田 早苗(おかだ さなえ)

1950年中国・長春市生まれ。東京農業大学大学院農学研究科博士課程修了。

専門分野:微生物学、微生物利用学、微生物分類学

主な研究テーマ:生鮮野菜に生息する乳酸菌の生態学的研究・乳酸菌を利用したバイオプリザベーション法の開発・乳酸菌の微量

主な著書:乳酸発酵の新しい系譜(中央法規出版)、乳酸菌・ビフィズス菌の取り扱いマニュアル(全国農協乳業協会)

東京農業大学世田谷キャンパス11号館4階に、大きな資源が眠っている。知る人ぞ知る大きな資源である。そこは我が国を代表する微生物保存機関「東京農業大学菌株保存室」である。ここには食品に利用可能な微生物株が7,500株ほど保存されている。微生物保存機関の活動はけして華やかなものではないが、微生物研究や微生物利用において、非常に重要な役割を持っていると同時に、その国の遺伝子資源のバンクの役割がある。そのような役割を担っている東京農業大学菌株保存室ならではの活動をここに紹介したい。

乳酸菌4500株を保有

農大菌株保存室は1960年に故住江金治先生により、学内で研究された重要な微生物株が失なわれないように、東京農業大学独自の微生物保存を専門に行う機関として、農芸化学科(当時)内に創設された。当初は数十株の微生物株の保存からスタートした。1972年に、世界でも屈指の乳酸菌研究者である故北原覚雄先生が東京大学より東京農業大学に移ってこられ、本学でも乳酸菌研究が活発になった。筆者が菌株保存室で仕事をするようになった1980年頃は、菌類(酵母やカビ)、細菌類を合わせて1,200株ほどであった。その後故小崎道雄先生とともに筆者らは、国内ばかりでなく東南アジア各国の伝統発酵食品を調査し続け、生息する微生物の収集にあたった。特に北原先生の研究の流れを汲んでいる菌株保存室は乳酸菌株の収集と情報の収集に力を注いできた。調査は毎年続けられ、収集される微生物株は増え続け、現在では、酵母、カビ、細菌を合わせ、約7,500株になっている。特に乳酸菌の保存数は4,500株に及びその保有株数では我が国で一番である。

分譲依頼は毎年100件余に

これらの微生物株を生きた状態で管理するのが第一の任務である。凍結乾燥アンプル法、L─乾燥アンプル法、−80℃凍結保存法のいずれかの方法で微生物株は管理されている。凍結乾燥アンプル法は、スキムミルクとグルタミン酸ナトリウム(世間では「味の素」として有名)を含んだ水溶液に微生物細胞を懸濁しガラスチューブに入れ、一気に凍結および乾燥(真空状態に置く)させ、そのままガラスチューブを溶封する。L─乾燥アンプル法は微生物細胞をリン酸緩衝液に懸濁しガラスチューブに入れ、凍結させることなく真空状態に置き一気に乾燥させ、そのままガラスチューブを溶封する。前者は細菌類に、後者は酵母に適用している。これら方法で保存された微生物は40〜50年は生きている。カビはいずれの方法でも死にやすく、−80℃での凍結保存法を用いている。  本学の菌株保存室が保有する微生物株は全てが食品に由来しており、また一部は既に消滅してしまった珍しい発酵食品に由来する微生物株も含まれる。そのユニークさにより、学内外研究者、学生、企業などから、それぞれの研究や食品に適用するために、菌株保存室の微生物株の有用性が認められ、毎年100件以上、数百株の分譲依頼を受けている。これらの分譲依頼に対して、本菌株保存室では、依頼者の手元にアンプルにした微生物株が1〜5日以内に届くよう努力をしている。

「植物性乳酸菌」の発信源

東京農業大学菌株保存室は乳酸菌の保存、およびその研究機関として有名である。  乳酸菌の世界を見渡すとミルクを原料にした発酵乳(ヨーグルトやチーズ)への利用が主流である。一方、我が国を含む東〜東南アジアにかけての国々の伝統発酵食品は原料が全て植物質であり、その発酵過程にも乳酸菌は必ず関わっている。菌株保存室が収集し、保存している乳酸菌は植物質の発酵食品に由来するものばかりである。世界中がミルクの発酵に関わる乳酸菌を主軸にしているのに対し、東京農業大学菌株保存室は近隣諸国の植物質からなる伝統発酵食品の乳酸菌を収集・研究していることから、世界的に見て特殊な研究機関である。近年、「植物性乳酸菌」を銘打った飲料や食品が出回っており、それらの発信源のほとんどは本学菌株保存室である。

乳酸菌株データの管理

菌株保存室では、毎年我が国の伝統発酵食品を中心に1,000以上の乳酸菌を分離する。分離株はさらに整理されて100〜200株に絞り込まれる。絞り込まれた乳酸菌株が毎年の保存株として登録される。登録に当たっては、個々の乳酸菌株に対して、菌株保存室が主体になって編纂した「乳酸菌実験マニュアル(朝倉書店)」に従って、60〜70項目の表現性状が調べられる。さらに全ての乳酸菌株の遺伝子情報(16SrDNAの塩基配列)も調べている。従って菌株保存室の全ての乳酸菌株は表現性状と遺伝子情報を併せ持ったデータと共に保存されており、様々な方面での活用が期待できる。これらデータを公開し、多くの研究者に情報や乳酸菌株の提供ができるように準備をしている。

固有の株番号「NRIC」

大学、公的機関、民間機関などのリクエストに応じて微生物株を分譲する公的な活動をしている。東京農業大学菌株保存室が保存し公開している微生物株には固有の保存記号と番号を持っている。NRICのついた株番号を持った微生物株は、世界に一つしか無く、本学菌株保存室の固有の微生物株であることがわかる。この記号と番号は世界中に通用する。我が国には公的に微生物株を分譲する微生物保存機関は現在24機関がある。東京農業大学菌株保存室はそのうちの1つである。

24機関の中には独立行政法人理化学研究所バイオリソースセンター微生物材料開発室(JCM)や独立行政法人製品評価技術基盤機構生物遺伝資源部門(NBRC)のように、あらゆる微生物を保存しているメガサイズの微生物保存機関も存在するが、東京農業大学菌株保存室は特定の専門領域(乳酸菌)を活かした保存機関として活動している。乳酸菌の中でも、植物質の発酵に関わる乳酸菌(植物性乳酸菌)の膨大な数の保存株に加え、それらの諸性状や遺伝子情報がセットになった東京農業大学菌株保存室の乳酸菌コレクションは大変に貴重なものと評価されている。

世界を視野に磐石な活動

菌株保存室ができてもうすぐ50年、筆者が微生物株を管理するようになって約30年、菌株保存室の活動も盤石なものとなってきたと思う。乳酸菌の中でも「植物性乳酸菌」の研究拠点は東京農業大学菌株保存室にありと、世界中が認めるような微生物保存機関になるのも視野に入ってきたように感じる。

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