Y染色体を持つ母親とその卵子

性転換雌マウスに関する研究

 

東京農業大学応用生物科学部バイオサイエンス学科(動物発生工学研究室)講師
尾畑 やよい(おばた やよい)

1971年千葉県生まれ。東京農業大学大学院農学研究科畜産学専攻博士後期課程修了。

専門分野:発生工学、生殖生物学。

主な研究テーマ:生殖細胞の発生機構およびゲノミックインプリンティングによる胚発生制御機構

生物は個体数を増やそうとするときに、大きく分けて二通りの方法を取る。ひとつは無性生殖といって自己のコピー(クローン)を増やす方法である。もう一方は、有性生殖といって自己と非自己の遺伝子を交ぜ合わせコピーではない子孫を残す方法である。‘性’は有性生殖においてのみ存在し、遺伝子を交ぜ合わせることのできる自己と非自己の関係が異性ということになる。こうした概念のもとでは、同種異型の型の数だけ性が存在することになり、例えば、ゾウリムシの中には8種類の性を持つものがいる。一方、ヒトをはじめとするほ乳類の‘性’は、いわゆる雄か雌かの2種類で、通常、遺伝的に決められている。しかし、遺伝的な性と表現型の性が必ずしも一致しないことがある。

私たちが研究で用いた性転換雌(遺伝的には雄で表現型は雌の)マウスもこうした例外の一つである。研究の発端は、性転換雌マウスが持つ生殖細胞はどんなものだろうか? という疑問から始まった。ここでは、ほ乳類の性分化と生殖様式について概説し、性転換雌マウスに関する私たちの研究成果を紹介したい。

遺伝的な性と表現型の性

ほ乳類は性染色体によって性が決まる動物である。私たちヒトをはじめとするほ乳類は、通常、Y染色体の有無によって性が決定し、雄ならばXY、雌ならばXXの性染色体を持っている。これは、Y染色体上にSry(Sex determining Region on the Y chromosome)遺伝子が存在する為だ。Sry遺伝子は転写因子をコードし、常染色体上の雄化に関わる遺伝子を活性化するよう働きかける。雄化に働く遺伝子は数多く知られているが、Sry遺伝子はその最上流にある。Sry遺伝子を欠損すると、Y染色体が存在しても雌へと分化する。これが、遺伝的に性が決定されている所以である。また、雄化の為の遺伝子は多数存在するが、雌化(卵巣分化)に働く決定的な遺伝子が見当たらないことから、ほ乳類は基本的には雌に分化し、雄化はSry遺伝子やその下流で働く遺伝子が発現しなければ起こらない積極的なプロセスと考えられている。

一方、雄化とは表現型の性にあたるわけだが、具体的に何かというと、生殖巣が精巣に分化することなどを指す。ほ乳類では精巣分化は胎仔期の比較的初期に始まり、精巣が分化するまでは、雌雄で表現型の性差は認められない。精巣と卵巣の他に外生殖器がそれぞれ分化するとホルモン環境にも自然と性差が生じ、表現型の性は確たるものになる。

さて、冒頭の性転換雌マウスだが、正確にはB6.YTIRマウスというマウスで、XYの性染色体を持っている。このマウスは遺伝的に何の欠損もないが、産まれてきたマウスのうちのおよそ6割が雌の表現型、あるいは半陰陽(間性・両性具有)となる。ちなみに残りの4割は雄の表現型となる。遺伝的に欠損がないのになぜ雌になるのか? という問いには、まだ完全な結論が出ていないが、B6.YTIRマウスのSRY蛋白質(転写因子)と常染色体上の遺伝子の相性があまり良くないため、Sry遺伝子の下流で働く遺伝子がうまく機能できないのではないかと推察されている。

一方、私たちが興味を抱いたのは、B6.YTIRマウスの雄は妊性があり交配して子孫を残せるのに対して、雌には妊性がなく交配しても子が誕生しないという事実だった。つまり、性転換したB6.YTIR雌マウスの生殖システムは、どこかに異常があることを意味している。共同研究者の武藤博士らは、正常なXX雌マウスとB6.YTIR雌マウスとの間で卵巣を置換し、交配後、子が誕生するかどうかを調べた。その結果、B6.YTIR雌マウスからXX卵巣由来の子が誕生するのに対して、正常なXX雌マウスからXY卵巣由来の子は誕生しないことが明らかになった。もちろん、XY卵巣の中にも卵子はきちんと存在している。この研究から、B6.YTIR雌マウスの子宮環境やホルモン状態は子を産む為に問題がなく、不妊の原因は卵巣あるいは卵子そのものにあると推察された。

ほ乳類の卵子に必要なもの

ここで、ほ乳類の卵子が受精して個体発生を支持する為に必要とされる三大要件を上げてみたいと思う。まず、生殖細胞に不可欠なのが減数分裂を完了する能力である。減数分裂は半数体細胞を形成する為に不可欠で、もし、半数体が形成されないと、世代を重ねる毎に子孫のゲノム量が倍化していくことになるが、そのような事実はない。これは「核成熟」と呼ばれることもある。次に、卵子は減数分裂や受精、加えて着床前発生に必要な分子(蛋白質やmRNA等)を卵細胞質中に蓄えておく必要がある。これは「細胞質成熟」と呼ばれ、多種多様な因子が関与していることからなかなか実体がつかめないのが現状だ。単純には、卵子が精子と比較して非常に大きいのは(マウスでは体積比がおよそ8000倍)、こうした因子を細胞質中に蓄えている為でもある。そして、3つめの要件はゲノム刷込みである。前者2つに加えて私たちは「ゲノム成熟」と言うこともある。

ゲノム刷込みについてIgf2遺伝子(インスリン様成長因子;胎児の成長に寄与)を例に説明すると、私たちの細胞の核の中には母から受け継いだIgf2遺伝子と父から受け継いだIgf2遺伝子の両者が存在している。二倍体9個体では、個体発生に必要な遺伝情報を母から1セット、父から1セット、必ず受け継いでいる。ところが、このIgf2遺伝子はどの世代においてもどのヒトを調べても、必ず父親由来の遺伝子だけが発現し、母親由来のIgf2遺伝子の発現は抑制されている。このように、ゲノム刷込みは遺伝子が由来した親の性に依存して発現を異にする現象であり、「遺伝子上に父母の由来が刻印されているかのようだ」という意味から命名された現象だ。Igf2遺伝子は父方発現遺伝子で、この他に母方発現遺伝子があり、両者あわせて80以上の刷込み遺伝子の存在が確認されている。ゲノム刷込みの分子機構は、DNAのメチル化であること、そして刷込み遺伝子のDNAメチル化は、卵子や精子が形成される過程でそれぞれ特異的に完了することがこれまでの研究で明らかにされている。つまり、卵子は雌特異的なDNAメチル化修飾を受けなくては、受精後、刷込み遺伝子の発現が異常となり、正常に個体発生できない。

性転換雌マウスの卵子

そこで、私たちは、B6.YTIR雌マウスの卵子がどう異常なのかを突き止めることにした。解析の結果、B6.YTIR雌マウスの卵子は第一減数分裂が正常に行われ、半数体(マウスの体細胞は二倍体で常染色体が38本と性染色体が2本で2n=40、生殖細胞では染色体数が半減するので常染色体19本と性染色体1本でn=20)となることが確認された。しかし、第二減数分裂では染色体が均等に分離されず、受精後、4細胞期以降に発生しないことが明らかとなった。一方、B6.YTIR雌マウスの卵子は、Y染色体を持っているにもかかわらず、きちんと雌型のゲノム刷込みを完了していることがわかった。つまり、ゲノム刷込みは遺伝的な性と一致せず、表現型の性と一致することが明らかとなった。

続いて、B6.YTIR雌マウスの卵子における減数分裂の異常が、「核成熟」の異常なのか「細胞質成熟」の異常なのかを明らかにする為に、核置換をすることにした。正常なXX雌マウスの卵細胞質にB6.YTIR雌マウスの卵子の核を移植した結果、XYの核を持った卵子は正常に減数分裂を進行させることが示された。このことから、B6.YTIR雌マウスの卵子は、核成熟能を持つことが明らかとなった。さらに、この核移植卵を体外受精すると正常に発生が進み、マウスが誕生するまでに至った。結論として、B6.YTIR雌マウスの卵子は、卵細胞質に致命的な異常が存在しており、その他の機能は雌の生殖細胞として生殖に十分寄与できることが明らかとなった。

 

Y染色体を母親から受け継ぐマウス

通常、卵子が持つ性染色体はX以外にはないが、精子がもつ性染色体はXかあるいはYかということになる。受精卵(子)が雄になるのか雌になるのかは、卵子がX精子と受精するかY精子と受精するかによって決まる。

一方、B6.YTIR雌マウスの卵子は減数分裂によって理論上X卵子かY卵子が生じることから、産まれてきたマウスの性は、精子によっても卵子によっても変わることになる。そこで、産まれて来た雄マウス15匹を解析したところ、11匹が卵子由来のY染色体を持つことが明らかとなった。本来、Y染色体は精子(父親)からしか受け継がないので、正常なY染色体を卵子(母親)から受け継いだマウスというのは、世界で初めて誕生したことになる。

今後の展望

ほ乳類ではゲノム刷込み機構の存在によって、雄同士あるいは雌同士で子孫を残すことは不可能だ。今回の研究では、XYの性染色体をもつ個体間で遺伝子交雑が行われたことから、遺伝的な性で考えると、マウスが雄同士で子孫を残したことになる。しかし、実際には、生殖細胞のゲノム刷込みが雌型であったために、マウスが誕生したわけだ。現在、雌雄特異的なゲノム刷込みが生じる機構は全く不明だが、こうした機構をひもとき応用することが可能になれば、ほ乳類の生殖はもっと多様になるかもしれない。

一方、Y染色体が卵子の分化過程で存在すると、卵細胞質になぜ・どのような異常が生じるのかを解明するのは今後の課題だ。卵細胞質の異常は、ヒト高齢不妊の主要因と考えられており、XX卵子とXY卵子の違いを遺伝子レベルで解析することによって原因解明につながる可能性も期待される。



<米科学アカデミー紀要で発表>

性転換雌マウスに関する研究は、東京農大の尾畑講師のほか、河野友宏教授、カナダ・マギル大の武藤照子教授らが共同で行われ、その論文は今年9月の米科学アカデミー紀要で発表された。正常なY染色体を卵子(母親)から受け継いだマウスを世界で初めて誕生させたことは、不妊の仕組み解明にも役立つとして、大いに注目を集めている。

 

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