人と動物との付き合い方を考える

人の動物に対する態度が変わってきた

東京農業大学 農学部畜産学科 助教授(野生動物学研究室)
安藤 元一(あんどう もとかず)
主な研究テーマ:「野生動物と人との付き合い方に関する研究」
著書:「湿地の大使」(カワウソ研究グループ)他

カナリヤに見る大正時代

「唄を忘れた金糸雀(かなりや)は 後の山に棄てましょか  いえ いえ それはなりませぬ」

今から約90年前の大正7年(1918年)、西条八十が作詞した童謡『かなりや』の第1節である。当時、生活に追われて詩作の道を見失っていた八十が、わが身を哀れなカナリヤに重ね合わせて作ったと伝えられている。

しかし、今ならこんなことは書かないだろうと驚くようなフレーズがある。外来種であるカナリヤを「山に棄てる」という行為は、本年6月から施行になった外来生物法に明らかに違反している。「背戸の小薮に埋(い)けましょか」(第2節)、「柳の鞭でぶちましょか」(第3節)ともあるが、それらの行為は「動物の保護及び管理に関する法律(動愛法)」に抵触するだろう。さらに、第4節には「象牙の船」も出てくる。これもゾウや象牙の国際取引を厳しく規制しているワシントン条約(CITES)から見れば問題がありそうだ。

当時、鞭で打つような行為が当たり前だったとは言えないだろうし、「それはなりませぬ」と戒めているのだが、歌詞がそれほど違和感なく受け止められたのは、それらが人々の飼い鳥に対する認識を映していたからではないだろうか。

カワウソに見る昭和時代

昭和に入って、それも1960年代の高度成長の頃はどうだっただろう。まだ四国にニホンカワウソが生き残っていて、1965年には特別天然記念物に指定されている。それ以前の愛媛県における死亡報告例からその死因をみると、刺し網などの漁網にかかった溺死例が36%を占め、生け捕りも30%ある。また撲殺(5%)やワナ捕獲(5%)は論外として、死体発見(24%)の中には捕まえたら死んでしまったという事例も混じっている可能性もある。 死因の大部分に人間が関与しているといえる。毛皮目的の乱獲がカワウソ絶滅の主因とされているが、昔の人々の野生動物に対する反応は、目の前に出てきたら反射的に捕まえてしまうということだったか。これも今なら考えられないことだ。

ペットの飼い方に見る平成時代

私たちが今、動物とどのように接しているかの参考として、滋賀県動物保護管理センターのイヌ引き取り頭数の統計を示した。同センターでは飼えなくなったイヌ、ネコの引き取り事業を行っているが、引き取り数は着実に減少しており、1989年には7千頭弱であったものが2003年には2千頭を割っている。ネコの引き取りも同様に減っている。

世の中はペットブームで、飼い主のマナーの悪さも指摘されている。しかし、少なくともイヌ、ネコに関しては、その飼育頭数は増えているにもかかわらず、引き取り件数が減っているのは、最後まで責任を持って飼う、避妊手術をちゃんと行う、ネコであれば内ネコとして飼って外ネコとしての妊娠機を減らすといった飼い方ルールが着実に向上してきた結果ではないかと思う。

動物の行動も容易に変化する

「手乗りスズメ」

スズメは街に最もありふれた鳥であるが警戒心の強い鳥でもある。しかし、東京港のお台場では人の手から餌をとる人馴れスズメが出現している。手乗りスズメが出てきた原因は餌付けだとわかっており、キオスクの人が餌をまいて呼び寄せていたら、こういうスズメが出現したのである。

私の研究室にはスズメの逃走距離(人が近づいたときにスズメが逃げ始める距離)を卒論で調べている学生がいて、先日も手から餌を採るスズメがディズニーランドにもいたと報告してくれた。こういう現象は広がりつつあるようである。

東京農大厚木キャンパスと、OL達が昼休みに弁当をひろげる都心の日比谷公園とを比較したときにも逃走距離の差が見られた。つまり、厚木のスズメに比べて、人に慣れた日比谷公園のスズメの方がなかなか逃げない。日比谷では少なくとも十年前からこういう変化が起こっている。野生動物がすぐそばまで寄ってきて手から餌をとってくれるのは動物と人とのすてきな関係と思いたいところだが、これは餌付けという人間側の行為の結果生じた現象である。そういう行為なしにスズメが示す逃走距離こそが本来の人とスズメの関係であろう。

「サルの人慣れ」

人慣れが深刻な問題に発展しているのが獣害問題である。例えば神奈川県に生息している20のサル群(約900頭)のうち15群(約820頭)で農作物被害が発生している。個体数が急増したわけではないのに被害が発生している理由の一つに、サルの人馴れが挙げられる。人馴れ程度は加害程度と概ね比例しているようで、最も加害程度の大きい小田原のサル群では図々しく人の側まで寄ってきて威嚇する。

加害群のサルに発信器をつけて調べてみると、こうしたサル群の泊まり場は山裾からせいぜい200メートルくらいの山中にあり、朝になると再びそこから農地に出てくるという生活をしていることがわかってきた。行動圏が山から里にシフトした原因は、耕作地で仕事をする人の減少といった人間社会の変化が影響していると考えられる。

サルには人身加害もある。農大厚木キャンパスの周辺にはこのところハナレザルが出没している。サルのオスは成獣になると単独行動し(ハナレザル)、いずれは他の群れに入ったりするが、その間はときに市街地に出没することもある。このこと自体はサルの自然な生活環の一部なのだが、問題はこのサルが人を襲うようになったことで、厚木の場合は特に子供が多く狙われている。手を噛まれることが多いとのことからすると、ひょっとするとはじめに手に持った餌をサルにやった人がいて、それを経験したサルの餌を狙う行動が人身加害に変化していったのかもしれない。

京都市でおこった同様の例では1頭のサルが市街地に現れるようになってから1週間を経ずに噛みつきザルに変化している。サル対策の基本は追い払いなのでだが、個人で石を投げるなど不適切な対応をすると、かえってこうしたサルをつくる結果となってしまう。

動物の気持ちを定量的に知る必要がある。

「環境エンリッチメント」

このところ各地の動物園で、「環境エンリッチメント」という展示スペースの改善や給餌改善に取り組む例が増えてきた。環境エンリッチメントとは「動物の本来の行動を引き出し、動物の心理学的幸福を満たすために飼育環境の質を豊かにする試み」(松沢, 1999)と定義されている。樹上性であるオランウータンが樹間を自由に移動できるよう、樹木の間にロープを張りわたすといったこともその一例である。

定義のうち「動物の本来の行動を引き出す」については野生個体で本来の行動を観察し、飼育個体と比較することである程度は検証可能と思われる。しかし、「心理学的幸福を満たす」はどうすれば効果判定できるのだろう。動物が楽しそうにしていましたという擬人的な表現では効果を検証したことにならない。

養豚業では肉質改善のために雄ブタを去勢するが、この時に麻酔はかけない。これを残酷と見る人もいるが、家畜化されたブタは育種によって皮膚表面の痛覚をほとんど持たないように改良されている。人間の男性がイメージするような痛さをブタが感じているわけではないし、傷も早く回復する。更に麻酔することについてはショック死の可能性もあるし、経済動物としてコストの問題もある。ただし他の動物種も同じとは限らない。こうしたことは動物種毎に研究してゆく必要がある。

「動物のストレス研究」

動物の気持ちを測る指標の一つにストレスがある。ストレスとは生体に与えられた外的な圧力から体を守ろうとする反応と、守ろうとするあまり生体が過剰に反応した結果の混合と定義される。副腎皮質から分泌されるコルチコイドというホルモンはストレスにより変動するホルモンで、このホルモン量は血液や糞を用いて測定可能である。例えば飼育ケージの温湿度環境がどれほど動物に影響しているか、動物を捕まえたときにどれほどのストレスを受けるのかといったことが研究可能である

こうした研究は野外における野生動物保全、例えば開発行為による影響を最小限にとどめようとする環境影響評価などにも応用可能である。猛禽類は一般に音に対して敏感なので、工事中の発破音や重機の音で営巣場所を放棄する可能性がある。どれくらいの音レベルまでなら影響なく工事ができるのか、オオタカに音を聞かせてストレス程度を調べるといった研究も始まっている。

しかし、動物には馴れの要素が大きいので、きれいな結果を出すにはかなりの研究が必要なようである。その結果、開発工事の工法を変更したり場所を変えたりということになれば、巨額の費用がかさむことになる。定量的な根拠を示すことができるように、なお研究の進化に期待したい。

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