涙が出るほど旨い

インド人もびっくり

中西教授東京農業大学短期大学部 醸造学科 教授 (醸造学科食品微生物学研究室)

前副学長

中西 載慶

主な共著:

『インターネットが教える日本人の食卓』東京農大出版会、『食品製造』・『微生物基礎』実教出版など

日本の食文化を代表する鮨や刺身の旨さはワサビあればこそ。そこで、辛い話の2回目はワサビです。ワサビはアブラナ科ワサビ属の多年草で正真正銘日本原産の植物(野菜)で学名もワサビア・ジャポニカ(Wasabia japonica)と命名されています。水の綺麗な冷涼地の水中や畑でよく生育します。自生のワサビは奈良時代から薬草や食材として利用されてきたようで平安時代の薬草事典や鎌倉、室町時代の料理書などに様々な記述がみられます。ワサビの栽培は、慶長年間(1600年頃)に静岡県の安倍川の上流あたりで始まったと伝えられています。なお、ワサビのように学名に日本が表現され、学術的にも由緒正しき日本原産野菜は、ワサビ、フキ(Petasites japonicus)、ミツバ(Cryptotaenia japonicus)ぐらいのものです。我々が食している野菜のほとんど全ては外来種ですから、その意味でもワサビは大変貴重、大切にしたい香辛料でもあるのです。
  ワサビには、唐辛子のカプサイシン類のように直接辛い物質は含まれていません。その代わり、シニグリンという辛味の素となる物質が含まれています。シニグリン自体は、苦味はあるものの辛味はありません。しかし、ワサビをすりおろしたり細かくきざんだりすると、ワサビの細胞が壊れ、その中に含まれているミロシナーゼという酵素が、このシニグリンと反応し分解して、あの独特な辛味物質(アリルからし油)を生成するのです。アリルからし油は揮発性ですので、ワサビを多量に摂るとツ−ンと鼻に抜け涙が出ることになるのです。強烈な辛さのカレーを食べて平気なインド人でも、ワサビの辛さには涙を流し驚くとのこと、愉快、痛快。もっとも、アリルからし油の生成量は、すりおろした後、2、3分がピークで、その後は時間とともにどんどん揮発し消失してしまいます。わさびらしさを保つには、10分以内で使用するかラップなどで少しでも揮発を防ぐ必要があります。また、アリルからし油には、多くの食中毒菌やサバ、アジ、ニシンなどに寄生するアニサキス幼虫1)などに対する殺菌効果や増殖抑制効果があります。ですから、鮨や刺身に使うことは旨さばかりでなく科学的にも理にかなっているのです。ワサビには血栓予防作用や抗癌作用もあるとか、詳しい研究成果も待たれるところです。
  お馴染みのチュ―ブ入り練りワサビや粉ワサビには、日本産ワサビの生産量が少なく高価なため、主に西洋ワサビ(ホースラディッシュ)が緑色に着色され利用されています。風味は若干異なりますが、辛味成分は同じです。また、チューブ入り練りワサビの製造では、辛味や香りを長期間保持するために特別な技術が使われています。その話はいずれまた。
  ワサビは春の季語、ワサビ田に十文字の白い可憐な花が咲く頃です。その風景もワサビも大好き人間の私は、アリルからし油がしょっちゅう鼻から目に抜けています。でも目から鼻に抜ける人物とはいかないようで……。

 次号「からしは辛し」につづく。

1)アニサキス症:上記寄生虫により発症し、食後数時間で激しい腹痛と嘔吐がみられる

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