言葉が下手で読みにくいかと思いますが、読める所までお付き合い願います

調査概要

沖縄調査の日程は、64日~15日朝:西表島、15日昼~29日:沖縄本島、西表島には4年生の彦坂さんが合流し、本島では4年生の伊藤さんと2年生の金子さん、駒形さんと落ち合うことになっていたが、64日~7日、22日~29日は一人だった。半日採集、半日解剖、一日休みと言うスケジュール上採集の思い出は多くなく、全身の残った標本も採集個体の3分の1程となった。また半年に一度程度しか運転していないペーパードライバーのまま、免許更新が二カ月後に迫っている状態、秋田県出身暑さにはすこぶる弱く、採集もたいして上手ではなく、不安材料過多で何を根拠に行けると思ったか、もう今では分からない(成果あり、無事に帰って来ているから良いものの)。

顕微鏡

採集後、宿で解剖も行うため研究室の顕微鏡を拝借して鏡筒は手荷物として持って行った。羽田空港手荷物検査所で荷物の中身を口頭確認され、沖縄への観光客擬態もあっさりバレ、その後の検査場ではPCのように鞄から出して「顕微鏡です」と断ってから通ることにした。各空港の職員の方の不審そうな顔が思い出深い。鏡筒だけとは言え、重く、ぶつけたり落としたりできないという気負いもあり、肩こりがひどかった。顕微鏡を持っての移動は、余りお勧め出来ない。

天気

西表島入りが、ちょうど梅雨の終わりごろ。全体を通しておおむね天気には恵まれた。621日の台風は、朝ザッと雨を降らして昼間は晴天、夕方ちょっと戻って来てまたザッと降らしていなくなるという中途半端な奇妙な台風だった(駒形さん曰く、戻り鰹ならぬ戻り台風)。一番荒れたのは宿について初めての晩、午前3時頃、雨の音で目が覚めたら、爆音稲光地鳴。宿に雷が落ち蛍光灯の紐が大きく揺れ、1分ほど停電。数日間宿のテレビがつかなかった。

ヤモリ

沖縄に採集に行った事がある方はご存知かと思うが、ケェケェケェケェと甲高い声で沖縄のヤモリは鳴く。いずれの島の宿の部屋にも少なくとも1ヤモリ、本島では少なくとも2種、3㎝程の幼体もたびたび机の上に来た。標本を食べられたりしないか警戒はしたが、人慣れしているのか目の合うような高さの壁をよく歩いていたため、からかって遊ぶにはちょうどいい相手だった。

西表島

3年生の時10日程6月下旬に行っており、覚悟はしていたが蒸し暑い。写真が下手なため、大雑把ではあるが、図1に宿の部屋の間取りを示した。上記の一日目以降は天気が回復、何処に行っても採れるトンボはほとんどが本州におらず、採集は面白い。67日からは彦坂さんと採集。晴天が続き、順調に採集が出来た。国道から少し入ったイネ科草本の草むらで彦坂さんはハチを、私は脇の水路でトンボを採って30分程もした頃、彦坂さんが国道沿い、30分前に草むらに曲がった角の所が燃えている事に気付き、人生初の消防への通報。石垣島に通じ、石垣島の消防から西表島の近くの町の消防団に連絡。消火活動中、朝にスーパーで会ったレンタルの原チャの白人のおじさんにも事情を説明。車が燃えているのではないとわかると安心して、何をしにこの島に来ているのか、虫採りか、私はバードウォッチングだといった世間話をして、「Have a good time!」とまた鳥を探しに出発された。通りすがりのトラックの二人組のおじさんや消防団が20分ほどで鎮火(最後の方でホースを持っていたのは通りすがりのおじさんだったが)。曰く「タバコだな。電柱さえなければすっかり燃えちまった方が良かったかもな。ハハハハハ」とのこと。バードウォッチャー氏、消防団さん、軽すぎです。ちょっと怖かったんですが。二三言の事情聴取でありがとう帰っていいよと言われたためその場を離れたが、その水路ではかなりの数のベッコウチョウトンボが飛んでおり、火事までは雄のなわばり争いを観察してまだ採集していなかった。また、その後ベッコウチョウトンボの雄は1個体しかとれておらず、さらに調査を終えて行った沖縄美ら海水族館の入り口付近の植え込みに低空を数頭で飛んでおり、生態観察などしていたことが悔やまれる(生態も大切とはいえ)。

火事の後は大事なく西表島での採集を終えた。宿のおじさんに宿泊費を少し負けてもらい、更に黒糖一袋をお土産に頂いて、15日朝フェリーで西表島を後にした。フェリーが岸を離れた時、彦坂さんが「あぁ出発しちゃった…」とつぶやいた。

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沖縄本島

那覇空港から外に出るのは今回が初めて、蒸し暑い西表島とは違った種類の刺すような日差しによる暑さだった。15日昼、那覇空港で伊藤さんと合流、昼食をとりつつこれまでの成果報告とこれからの打ち合わせをし、2年生二人が到着するまでの間に買い出しに出かけた。私は4日分くらいの気持ちで買った食料品は2日で無くなると思うと言われ、カルチャーショックに近いものを感じた(実際2日で殆ど無くなった事にも驚いたが)。与那フィールドセンターでは、4人部屋を独り占め(図2)、普段は6畳一間で暮らしている身、彼方此方に荷物を置いてみた。西表島と違うのは乾燥機がありクーラーが無料で使える所、何よりもちゃぶ台ではなく椅子と机で顕微鏡を使える点だった(高さの微妙なちゃぶ台で顕微鏡は覗いてはいけない)。宿泊舎には様々な分類群の研究者がいた。同行者のケシキスイ、コガネムシ、ハエ、琉球大の鳥類、京都のカタツムリとチョウ、東北大のサナエトンボといった方々、お話できなかった方々は何をしにいらしていたのでしょうか。本島で最も採集に市からを注いだのはカラスヤンマ、自分の手では♀2個体しか採る事が出来なかったが。レンタカーを借りて、お世話になる琉球大学の与那フィールドセンターも近づいてきたころ、夕焼けの空を雌のカラスヤンマが上空を滑るようにして飛んでいるのが見えた。黄昏飛行と呼ばれる摂食に集まった群れが通りの横にいくつも見られ、大型種は採るのが苦手だが、どうしても採りたいと改めて思った。19日、ハエを取りに来ているはずの駒形さんがカラスヤンマ♀を採ってきた。悔しくてどうしようもなく20日与那フィールド内を歩いていると、ベッコウチョウトンボ♂(この時点で1個体しか採ってない)の飛ぶ向こうに頭の高さ(155cm)を飛ぶカラスヤンマ♀、興奮を押し殺し、普段の自動ドアにも気づかれない存在感を発揮。宿舎に戻り伊藤さんと金子さんにただいまも言わず「採りました!」、と1個体目の三角紙を見せた。その後、最終日近くにいらした東北大学のサナエトンボの研究者の方にセンターの駐車場はカラスヤンマの黄昏飛行群が来ると教えて頂き最後数日は朝3時間ほど、夕方2時間ほどの採集を繰り返したが、黄昏時の採集結果はカラスヤンマ♀1、ヤブヤンマ♀2と言うとしょっぱいものとなった。一日はかなりの大きな群れが上空に集まり、出来るだけ網を振り回したが結果は上記の通り、高くを飛ぶものはトンビの声が少し聞きづらい程の高さを旋回しているため首も背中もミシミシ言ったが、勇壮な光景に眼福だった。




図2

その他

日頃自炊をしているためか、地方スーパーはとても面白い。見慣れない野菜は安く、見慣れた野菜は高い。大手メーカーから出ているものの、見た事のない飲み物やお菓子。豊富なオリオンビールの種類。輸入缶詰、菓子のほか、お弁当の具や調理パン、菓子パンも本州とは違う。西表島ではレジの後ろで卵のパック詰めをしていた事も中々の衝撃だった。豚肉文化であるイメージのため、養豚所があるものと思っていたが、売っている豚肉は本州よりも食肉の輸入が多い事も目についた。養豚は見られなかったが牛は多く、八重山産の牛乳はいただいた。もちろんあの気候で、採集と解剖を終えてのオリオンビールもおいしかった。

運転への不安は上記の通りだが、西表島での半年ぶりの運転も(半年前は雪道運転だったが)法定速度40/時のすっきりとした道路に助けられ、追い越され、追い越され、無事故で楽しく運転を思い出した。始めての砂利道運転、給油、左右に車の止めてある駐車場への駐車、交通量の多い那覇での運転や、高速道路、一気に10レベル位上がるほどの経験値を得た気分だった(まだ不安は多いが)。

与那フィールドセンターから出る日、(那覇への途中にあるため、)6時半に出発、一番乗りで入場券を通し、沖縄美ら海水族館に寄り道。混んでいない時間に最初のジンベイザメの食事を大水槽横のカフェ、水槽の目の前の席で観る事が出来た。結局4時間という長い寄り道。ジンベイザメが近かった。ヒトは小さかった。

車を返した後、国際通りも行き、雌12種雄13種のデータを得て観光、研究、充実だった。

でもまだ採れていない種も少なくなく、さてどうしたものでしょう。


                                                                                                    M1 小林純子






沖縄調査